アラサー日報

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人に甘えよう、だが期待するな

こんにちは。井出です。

今日は私のモットーである「人に甘えよう、だが期待するな」について。

 

人に甘えよう

人という漢字はお互いが支え合って立っている

という講釈は金八先生以来伝えられてきたものだが30歳を超えてその意味が分かってきた。

 

29歳で同棲を始め現嫁と一緒に生活する中でお互いに助けられることは多い。食事、洗濯、掃除などあらゆる家事をやってくれるおかげで私は仕事や資格試験勉強に集中出来ると思っている。(フェミニストの方になんと言われるか分からないが嫁曰くは全く苦じゃないらしいので悪しからず)

 

タイ駐在時にタイ人スタッフの実家に遊びに行くとそこでは昔の日本の大家族主義と言わんばかりに3世代でお互いに生活する。実か義理かを問わず両親ともども何かやってもらった時はワイ(🙏=お礼)をして頭を下げる。なぜかとても美しいと思った。そこは比較的裕福な家庭だから全てのタイ人がそうかは分からないが日本が忘れつつある互助の精神が当たり前にある。

 

人は1人では生きられないのである。この記事を書いているカフェも店員さんやコーヒー農家、運営社員の方々がいるからリラックスして過ごせるのだ。義理のお母さんが色々差し入れしてくれるから毎日の食事や生活が充実する。私も遠方へ行ったときには必ず義理の実家にお土産を渡す。

 

人の親切には断らずに甘えたらいい。その分何かをお返しすればいいのだ。

 

だが期待するな

親切はあくまでも親切心の発露であり、受け手側が求めるものではない。

 

私は普段から怒らなくてすごいねと言われるがそれは私が忍耐強い仏だからではない。単に他人に期待していないのだ。期待しなければ怒る必要もない。

 

電車で優先席を譲ってもらえずキレている人をたまに見かけるが「譲ってくれるはず」と勝手に期待するから裏切られた時に怒りが湧いてくる。ハナから期待などしなければ譲ってもらえた時に自然とありがとうと言えると思う。

 

親切や善意は期待していては無駄な波風を立たせるだけなのだ。

 

結びに

個人的には自分の根幹に近い考え方のように思う。出来ない時は助けてもらい、相手が困ったら助ける。そうした謂わば貸し借りの関係が周囲との長期的な関係性を作るのである。

 

だが相手に何かをさせる、してもらおうとすることは出来ない。出来るだけ感情を揺さぶられないようにするには他人に期待してはいけないのだ。